ハミルトンは08年チャピオンが必須!?
Nov 18, 2007
ハミルトンは、2年連続チャンピオンのアロンソが霞むほどの活躍を見せた。カナダGPとアメリカGPの連勝を含めて年間4勝。開幕戦以来9戦連続表彰台という新人のデビューとしては驚異的な安定振りを示した。しかし、最後にはフェラーリのライコネンにタイトルを奪われてしまった。
タイトルを取れなかったことを最も悲しんだのは本人のはずだが、イギリス人のハミルトンがチャンピオンになれなかったことは“イギリス”をガックリさせた。
1950年に始まったF1GPで、イギリス人は1958年のマイク・ホーソンから合計12回のワールドチャンピオンを誕生させた“チャンピオン量産国”だ。二度チャンピオンを獲得したジム・クラークやグラハム・ヒル、三度タイトルに輝いたジャッキー・スチュワートなどがいるから人数的には8人が以下のようにチャンピオンに輝いている。
1958年 マイク・ホーソン
↑
★★★★=4年ぶり
↓
1962年 グラハム・ヒル
1963年 ジム・クラーク
1964年 ジョン・サーティース
1965年 ジム・クラーク
↑
★★★=3年ぶり
↓
1968年 グラハム・ヒル
1969年 ジャッキー・スチユワート
↑
★★=2年ぶり
↓
1971年 ジャッキー・スチユワート
↑
★★=2年ぶり
↓
1973年 ジャッキー・スチユワート
↑
★★★=3年ぶり
↓
1976年 ジェイムス・ハント
↑
★★★★★★★★★★☆★★★★=16年ぶり
↓
1992年 ナイジェル・マンセル
↑
★★★★=4年ぶり
↓
1996年 デイモン、ヒル
↑
★★★★★★★★★★=11年間なし
↓
2007年
星の数は、イギリス人がチャンピオンを我慢した年数だ。現在、イギリスは史上2番目に我慢が長い時期を過ごしている。
イギリス人チャンピオンの最高不在記録は16年だが、今年はそれに次ぐ11年目に突入しているのだが、同じ11年目の1987年は、そろそろイギリス人チャンピオンが誕生しないことには“イギリス”の我慢が限界にきていることを証明するある事件が起きている。
1987年は、ウィリアムズ・ホンダで、ナイジェル・マンセルがタイトルを取り逃がした年だ。9月のイタリアGPの会場で、ホンダはより強いチームを求めてプロストとセナを擁するマクラーレンと翌年のエンジン供給の契約を締結。ウィリアムズと袂を分かつことを発表した。
“せっかくチャンピオンが取れそうだったマンセルを見限ったホンダ”に対するイギリス・メディアの反応は凄まじかった。例えば、日本のレース専門誌に、中嶋悟の原稿を送っていたあるイギリス人ジャーナリストは、それまで中嶋のことを親しみを込めて“ナカサン”と呼んでいたが、いきなり“Naka Jap”と蔑称を使ったのだ。ホンダのバックアップを受ける中嶋に対して、坊主憎くけりゃ袈裟まで状態。イギリスではホンダの不買運動も起きたといわれている。
その1987年は、1976年にジェイムス・ハントがワールドチャンピオンになって以来11年間イギリス人チャピオンがいなかった年。そして今年は、1996年のデイモン・ヒルがチャンピオン以来イギリス人チャンピオン不在11年目。つまり今年は1987年と同じ“怨念の11年目”だったのだ。
来年、ハミルトンが久々のイギリス人チャンピオンにならないと、イギリスで暴動が起きるかもしれない!? ハミルトンにはますます大きな期待がかかり、それは同時にプレッシャーにもなってのしかかる。来年、ハミルトンがどういうレースを展開するか、これは見物だ。
(MYS/Yamaguchi Masami)
